Chick Corea / チック・コリア

Chick Corea / チック・コリア
Biography

チック・コリア(Chick Corea、本名:Armando Anthony Corea、1941年6月12日 – )はアメリカ出身のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、ミュージシャンである。

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Chick Corea / チック・コリアの生い立ちと経歴

1941年6月12日に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるチェルシーにて生まれ、父はジャズ・トランペッターであった。4歳の頃よりピアノを習い始める。高校を卒業後、ニューヨークにあるジュリアード音楽院に進学する。1964年頃からブルー・ミッチェル、ハービー・マン、モンゴ・サンタマリアらとの共演からキャリアをスタートする。1966年にはデビュー・アルバムTones for Joan’s Bonesを発表。

1968年 トリオで名盤”Now He Sings Now He Sobs” を発表。チックにとって初のピアノ・トリオ作品であり、ミロスラフ・ヴィトウス&ロイ・ヘインズを伴ったトリオで、スピード感満点の鮮烈な演奏を繰り広げている。

1968年後半から”ハービー・ハンコックに替わりマイルス・デイヴィスのグループに加入。In a Silent Way, Bitches Brewなどのアルバムに参加する。この頃からマイルスの指示でエレクトリック・ピアノ(フェンダー・ローズ)を弾くようになる。当初この楽器を嫌っていたチックだが、1970年代にはチックのサウンドに欠かせない楽器となっていく。
同じ時期チックはアバンギャルドなアプローチを見せるようになっており、マイルス・グループでもライブで聴かれるチックのソロは、かなりフリーの要素が強い。1970年、マイルス・グループを脱退した後、ベースのデイヴ・ホランド、ドラムのバリー・アルトシュルとグループ「Circle」を結成。後にサックスのアンソニー・ブラクストンを加えフリー・ジャズ寄りの演奏を展開する。
1971年に、ベーシストのスタンリー・クラークらとクロス・オーバー/ジャズのバンド、リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return To Forever)を立ち上げ、ECMレコードからアルバム”Return to Forever”を1972年に発表。カモメのジャケットで有名なこのアルバムは70年代ジャズ・フュージョン最大級のヒット作となる。革新的な音楽性と卓越した演奏技術に裏打ちされたこのバンドは数々の作品を生み出し、トップアーティストとしての地位を確立する。中でもアルバム”Light as a Feather“に収録されている”Spain”は現在でも他の演奏家にプレイされ続ける、ジャズの、またチック・コリア自身の代表曲である。
 リターン・トゥー・フォーエヴァーは、当初、フローラ・プリンやアイアート・モレイラなどブラジル系のメンバーが中心であったためラテン色の強いグループであったが、彼らの脱退後1973年にはギタリストのビル・コナーズが、1974年にはビルに替わってアル・ディ・メオラが加入し、よりロック色の濃い方向性に変わっていった。

78年にリターン・トゥ・フォーエヴァーを解散したチックは、Friends, Three Quartetsなどエレクトリックにもストレート・アヘッドなジャズにも、時にはクラシックに挑戦したりと多彩な活動を続ける。1985年には、デイブ・ウェックル、ジョン・パティトゥッチといった若いメンバーと「エレクトリック・バンド」を結成。圧倒的なテクニックと楽曲で話題を集める。1989年には同じメンバーで「アコースティック・バンド」と名前を変え、スタンダードを中心としたアルバムAkoustic Bandを発表した。

1992年にはユニバーサル・ミュージック配給の元、自己レーベルストレッチ・レコードをスタート。しかしGRPレコードとの契約上ストレッチからリリースする事が出来ず、1995年発表のTime Warpからとなった。2004年にはエレクトリック・バンドをオリジナルバンドで復活、To the Starsを発表。2006年には、かつての盟友スティーヴ・ガッドらと共にアルバムSuper Trioを制作・発表、2007年にはリターン・トゥ・フォーエヴァーの再々結成発表、2008年には上原ひろみとのピアノ・デュオで日本武道館公演を行うなど、その活動のエネルギーと多彩さは衰えることがない。
夫人はマハヴィシュヌ・オーケストラへの参加などで知られるキーボード奏者・ゲイル・モランで、彼女はコリアの作品でボーカルを聞かせる場合もある。