Red Garland Trio / レッド・ガーランド・トリオ

Red Garland Trio / レッド・ガーランド・トリオ
Biography

1923 年5 月13 日、米国テキサス州ダラスで生まれる。本名はWilliam McKinley Garland。
名前となった“ レッド”の由来は、髪の毛を赤茶色に染めたことがきっかけだったそうだ。

最初は17 歳の頃にベニー・グッドマンのファンだった父親からプレゼントされたクラリネットを吹いていた。その後ボクシングに興味を持ちはじめ、41 年に入隊。入隊後にアルト・サックスを手にし、後にピアノに転向。
同時にボクシングも続け、後に伝説のチャンピオンとなるシュガー・レイ・ロビンソンとも一戦を交えたことがあるほどの腕前を持っていた。除隊後にライト級のプロボクサーとなり、計30 戦以上を闘った。好成績を残しながらも、20 歳の頃にボクサーの道を諦めて音楽の道を選択。

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45 年にホット・リップス・ペイジのバンドに参加。翌46 年頃にビリー・エクスタインのバンドに参加。47 年からフィラデルフィアの「ダウンビート」のハウス・ピアニストとなり、以降チャーリー・パーカーやコールマン・ホーキンス、ファッツ・ナヴァロ等と共演を重ねる。

55 年秋にマイルス・デイヴィスのクインテットに参加し、一躍名を馳せる。

50年代後期のレッド・ガーランドのプレステージ・レーベルでのレコーディングは、モダンジャズにおけるピアノトリオの模範となっている。
マイルス・デイヴィスの計らいでレギュラーメンバーとして、デイヴィス・クインテットからの才能あふれるパートナーでベース奏者のポール・チェンバースとドラマーのアート・テイラーが選ばれ、レッド・ガーランド名義のトリオで名盤『グルーヴィー』等のアルバムをリリースし、大ヒットした。58 年マイルスのクインテットから脱退後も、自己のトリオで活動。

  

1959 年に短期間だけマイルスのクインテットに復帰するが、62 年以降は半引退状態となる。70 年代は地元のクラブに時々出演する程度の活動を行っていたが、77 年にギャラクシー・レーベルと契約し、復帰を果たす。その後10 枚ほどのアルバムを発表。78 年に『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ』出演のために初来日を果たし、80 年には2 度目の来日を果たした。1984 年4 月23 日、心臓病のため死去。享年60 歳。